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2010.12
2010年のメッセージ集

昨2009年は世界にとっても、私にとっても予測なく激動するまことに困難な年だった。
2008年12月18日の硬膜下血腫除去手術から、丁度半年目の2009年6月18日に行った大腸がん除去手術までの4回の手術体験は、それまでの人生で、入院も手術も体験したことがなかった私にとって、あまりに大きなフィジカル面での強烈なパンチとしか言いようがなかった。こういうことは直ぐには止まらない。その後も余震のように派生的に続いた十二指腸潰瘍、8年前の前立腺がんへの放射線治療の影響と見られる尿の潜血反応、また間歇的な痛みや痒みとの果てしない格闘でも、80歳を目前にした人間の宿命を、毎日のように考えさせられた。自分が50数年続けてきた創造的な仕事への攻めの姿勢がなかったら、今は浦島太郎のように老い込んでいたであろう。

幸い2回の硬膜下血腫除去手術中には、オーケストレーションに入って第1場が終ったばかりの「日本史オペラ連作」第9作《幸せのパゴダ》のフルスコアの500ページ近い作業を病院や正月もなく連続し、第2幕冒頭の劇中劇の、「あの戦争は何であったか」を問うヴァージョンBの台本を待って作曲が完成するリーチ状態になり、幸か不幸かヴェルディが80歳(本当は満79歳?)までオペラを書いた史実を超えることになり、劇的な運命を一人で笑っている。引き続き書き始めた、超低予算下の一幕1時間、SMTB4人の歌手+女声合唱+ピアノで上演できるエコオペラ《きみを呼ぶ声》が第2場にさしかかった時に発生した腸閉塞で、またも2回の大手術中も病室で書き続け、10月31日の初演はボランティアの関係者が歓喜する中でのハッピーエンドに持ち込むことが出来た。

その間に第20回「福岡アジア文化賞」の「芸術・文化賞」を20年目にして、日本人として初受賞という朗報がはいり、長年一緒に頑張ってきた現代邦楽関係者が挙って発起人になって12月6日行われた、200人近くが集まった三木稔「受賞と傘寿を祝う」会は、こういった会では型破りのダイナミックな楽しい会だったと思う。
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2010年の大きなコンサートは、1月26日(火)19:00から東京都交響楽団がサントリーホールで行う定期演奏会での、管弦楽のための《春秋の譜》から聞いていただける。これは私の交響曲に敢えてナンバーを付ければ、第4番に当たり、英語では”Symphony from Life”と名づけた作品で…以下全文

そうそう、その3日前、1月23日に日本音楽集団が津田ホールで行う定期は、「日本音楽集団で育った二十絃筝の40年」の過去と未来というタイトルで賑やかに行われるが、私の作品も二十絃筝ソロ第1曲《天如》、その7年後に作曲した《華やぎ》、そして尺八とのデュエット《秋の曲》が演奏される。…以下全文

さあ《愛怨》ドイツ初演だ!
すでにこのHPの別項目にファイルしてある2009年12月のメッセージ集に、《愛怨》が08年の後半にハイデルベルク市劇場の新旧のオペラ監督から、《愛怨》のドイツ初演を切望され、決定するまでの経緯は書いたが、当初彼らが望んだ10〜15回の上演は、さすがのドイツでもこの不況下では許されなかったようだ。しかしこの劇場と契約するオペラ歌手たち、3管編成のオーケストラ、合唱団の人たちは、大変な打ち込み方で稽古を進め、2010年2月20日を初日に、ハイデルベルク市劇場による『三木稔、日本史オペラ連作』第8作《愛怨》のドイツ初演は、2月20, 25, 27日、3月25日、4月19, 27日、5月14日、6月5日の8回の半分が既に終わり、2月の末までに11の批評がポジティヴに出て、既に終った4公演は1,3,4回目がソールドアウト、批評が間に合わなくて態度を決められなかった人がいた2回目のみ満席に一寸欠けただけという絶好調だそうだ。…以下全文


今回の手術は腸は一切いじらず、上行結腸の外側の筋肉を超えた脂肪の中にあった1.5cmくらいの結節を執刀医の手でつまみ出す46分のオペだったので、比較的に軽く、次の日にすっきりした80歳の朝を迎えた。
4月2日は、病院でこの手術で取り出したものの顕微鏡検査の結果を聞く日だった。なんと、全くがんとは関係なく、昨年6月の大手術のとき使用したドレーンなどのために出来た「腫瘤」とでも言う、もしかしたら自然に消滅する無害のものだったそうだ。造影液を使った2回のCTやMRI、それに今や大きながん検査手段となっているペット検査でも強いがん反応があり、術後には抗がん剤使用を示唆されていて、創造的な仕事が出来なくなる怖れを抱いていただけに、自発的切腹みたいなもので、あっけに取られている。

《幸せのパゴダ》の劇中劇の岩田達宗のユニークな台本が丁度退院に間に合ったので、『三木稔、日本史オペラ9連作』を完成させてからハイデルベルクに行こうと、3月末から準備を始め、モチヴェーションを高めながら今後2ヶ月集中して作曲する態勢に入っている。《愛怨》はその後の公演もsold outが続く勢いだと、劇場は連絡してきている。…以下全文

その前の5月19日(水)、第一生命ホールで定期を続けている日本音楽集団が、45年前の創立を主導した私に敬意を払ってくれたか、《わ》、《四群のための形象》、《ロータス・ポエム=尺八協奏曲》、《ダンス・コンセルタントI「四季」》など、私の作品を主としたプログラミングで、第199回定期演奏会という節目のコンサートをやってくれる。特に昨年芸術祭大賞や芸術選奨を受賞した三橋貴風がソロする《ロータス・ポエム》には大変期待している。そして当日…以下全文

《愛怨》ヨーロッパ(ドイツ)初演成功確認ツアー
私にとって2008年1〜2月にダンテの「神曲」をテキストとする合唱作品作曲コンクールの審査でスイス(及びパリ)に行って以来、2年ぶりの渡欧となったハイデルベルク行きだ。…>ツアー報告「自分の眼で見てきた《愛怨》独逸初演

ドイツから帰国してすぐ、6月12日には吉野川市鴨島公民館で、よんでん文化振興財団派遣助成として3年ぶりとなる「楊静と結アンサンブル」公演が行われた。
ここには私が少年時代によく通った「江川の遊園地」があり、その懐かしさを鴨島の人たちが今の私に繋いでくれて、450人の満員のお客さんが真剣に《東の弧》などの定番の演奏に聞き入ってくれた。…以下全文

《幸せのパゴダ》のオーケストレーションが大安の6月30日朝脱稿し、処女作《春琴抄》着想以来37年かけて『三木稔、日本史オペラ9連作』が遂に完成した。 第9作《幸せのパゴダ》は、2006年に第8作《愛怨》が新国で初演された直後から構想し、07年の徳島国民文化祭で、フォークオペラとして歌手はセリフが半分、器楽は4人だけという仮の姿で一度上演したあと、台本及び演出した岩田達宗氏と相談して台本も全面的に改訂、何処からの委嘱でもなく、私の日本史連作に必須の20、21世紀題材の本格オペラとして再構想した。
作曲には結局計5年かかり、その間この1年半で硬膜下血腫除去や大腸がんなど5回の手術を受けつつ、80歳を100日程越えた今、連作の他オペラ同様、ボーカルスコア・ フルスコア等合わせて1.000ページを超えるfull-length operaとして現前した。
本格オペラ版では、作曲家として私が絶対避けて通れなかった「あの戦争は一体何だったのか」という問いに関わりつつ、今後の日本人が、オペラを楽しみながら、戦争を拒否し、平和を守る意識を持ち続けるための生きた教材になりうると確信している。
ただ、世界中が不況下で文化予算カットが続出しているとはいえ、自分が仕掛けなくても望まれて《愛怨》が上演されたドイツと違って、自分の国でありながら各オペラ団体が予定の上演すら中止に追い込まれている現状では、私が生きて初演を見られる公算は極めて低いと観念している。
ともあれ、5世紀から21世紀に至る各時代をカバーしつつ、それぞれの熾烈な時代精神を描き、また各時代に勃興、乃至興隆期を迎えた雅楽・伎楽・声明・能・狂言・歌舞伎・人形浄瑠璃・地歌箏曲等の日本独自の芸能をオペラの中で生かすという、かつて出来なかったノウハウをも開発しつつ、合わせて優に20時間を超え、9連作などという、肉体をすり減らし、命を縮めかねない過酷な仕事が完成した今、喜びよりも、なにか呆然としている。宇宙遊泳の感じだろうか。日本は政治と経済、そして災害等にしかジャーナリズムの関心が行かなくなり、出身地徳島以外ではこういう文化的な達成に関してなかなか公的な報道はされそうもない。37年間、この達成を人々が自分の幸せに感じてくれることを信じて、ひたすら反骨の精神で書き進んできたのに、なんという国になってしまったのだろう。宇宙飛行士などとんでもない、敗戦を知らず南の島に取り残されていた兵士、いや彼らだって暖かく報道された。生死を賭けてきただけに、聞け! わがわだつみの想いを、かな。
【参考】日本作曲家協議会への在欧作曲家からの投稿文

7月1日には今芸術監督をしている邦楽創造集団オーラJが、目黒パーシモン小ホールを使い、優秀な若手作曲家の金井勇企画での「七夕」に因んだ第25回定期で、私の作品は、今最も素晴らしいと推薦できる木村玲子の《天如》と、こちらは若い琵琶ソリスト桜井亜木子が初挑戦する《流琵》の2曲が演奏される。是非ご来場を!

こういう風にテンションが上がって来ると、万事流れがよくなってくるもののようだ。この世界同時不況でスポンサーが昨年以上に落ち込み、今年は休まねばならないか、とまで心配していた第5回「北杜国際音楽祭」開催の芽が一気に開花した。私が数年掛けて真摯に訴え続けた「東西音楽交流の聖地創り」の、世界でも例のない努力が、経済的・文化的に落ち込みが止まらない日本に必要な大目標となりうることが、つい数日前、芸術文化振興基金にも期待されていることが判り、初年度私が個人部門で受けて以来3年間受けていなかった助成が、今年は受けられることになった。今回は第5回記念として、これまで支持されたコンサートを含め、8月上旬の八ヶ岳南麓で日本・アジア・西洋の交わる高いレベルの音楽を提供しましょう。スタートの遅れが響いてやっとチラシが載せられるが、細目は音楽祭公式HPのwww.hokutofestival.comにスケジュールを載せます。
私の抱負をご覧ください。
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『八ヶ岳「北杜国際音楽祭」2010を終えて』
芸術監督の回顧
2010年8月19日 三木 稔

早いもので第5回を迎えた八ヶ岳「北杜国際音楽祭」2010が無事終了した。開幕当初、昼間はこの1000メートルの高原も暑いくらいだったが、コンサート中は涼しく、メインコンサートが続いた中間時点では極めて快適な気候で、東京から来た連中はうらやましかっただろう。最終日の公演前後に雨に見舞われたが、近年では最も恵まれた気候で、クラシックの野外公演が無かったのがひどく惜しむ人が多かった。…以下全文


9連作完成と《愛怨》ドイツ初演についての東京新聞2010年11月5日記事…本文(JPEG)

11月には、今年初演された13絃箏のソロ作品と合奏の2曲が、間に半月を置いて舞台に現れた。11月1日に銀座王子ホールで初演された13絃箏ソロの《花凛》を委嘱してくれた榎戸二幸さんは、毎年王子ホールでリサイタルをしているが、前に《秋の曲》を演奏したら大変評判がよかったと、2年近く前に新作をと頼んできた。新箏(21絃)も弾くらしいが、今回は13絃でお願いしますというので、立ち止まって考えた。「よし、《箏譚詩集第1番》のように日記風・具象的でなく、伝統的で8〜9分位続く一貫した三木メロディーを通した13絃の代表的な独奏曲を残す姿勢で取り掛かってみよう」と。 以下全文

長年の友人で、私が岡山にあった旧制六高理科の学生だった青春時代、彼女はその六高を囲む道沿いに住み、後に、六高とも近く仲のいい山陽高女に通っていたという砂崎知子さんから、2010年11月15日に国立小劇場で行われる宮城合奏団40周年記念演奏会のため、箏を中心とした新作を書いて欲しいと頼まれた。 40周年という節目の委嘱は私のように経歴の多い作曲家が必要なのだそうだ。ならば、と私は「雅び」の姿勢で全曲を通す、いわば《花凛》と同じ意識というか姿勢に基づき、箏に始まって三味線・尺八・小鼓が次々に加わる起承転結の構成を持った4楽章の《箏のロマンス》の作曲で応えた。 以下全文

12月と2011年1月には、私の作品ばかり、もしくは三木作品中心の重要なコンサートが2回ずつ行われた。 最初に12月6日に四谷区民ホールで行われた「三木稔 箏作品の夕べ」は、評判になったチラシのユニークな写真に向かって左から、福永千恵子・吉村七重・砂崎知子・木村玲子・石垣清美・宮越圭子という、たくさんいる日本の現役箏ソリストの中でも最高の実力者たちといわれる面々が、誰言うとなく始めたコンサートなのだそうだ。 以下全文

さて、12月のもうひとつの「三木稔箏作品の夕べ」は韓国ソウルで「松林細路The Pathway through a Pine Forest」という詩的なタイトルで、12月21日20:00より中央大学アートセンターのメインホールで行われた、《松の協奏曲》《瀬戸内夜曲》、《三つのフェスタル・バラード》、そしてフォークオペラとしてパンソリ歌手と伽耶琴の共演に影絵も用いた《ベロ出しチョンマ》の韓国初演という全三木作品による、文良淑“Moon Yang-sook Solo Concert”であった。 以下全文

三木 稔