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2007.9
2007年9月 のメッセージ集

2007年は、仮住まいのマンションで昨年中に約1/3進行していたフォークオペラ《幸せのパゴダ》の作曲から始まった。1963年以来住んでいた思い出満載の住居も、地震が怖い陋屋となり、余生を過ごす住処をどうするか決断が付かないままでいた。一方、近所に住む次女でヴァイオリンを弾く三木希生子、指揮をしている榊原徹の夫婦は共稼ぎで、孫の麗のことも考えると、我が家を取り壊し、2世帯住宅を作って住むしかなかろうという結論が昨年初頭に出て、7月、近所の狭い仮住まいに移っていた。
新居は年末にほぼ完成したものの外構工事などが今年に持ち越されて1月7日(大安吉日)、ここ東京都狛江市で足掛け45年目の新しい生活が始まった。

フォークオペラ《幸せのパゴダ》は今秋11月4日、徳島で行なわれる国民文化祭グランドフィナーレで初演する。3年前の5月末に飯泉知事から、管弦楽曲とフォークオペラの作曲を含む国文祭グランドフィナーレの総合プロデュースを委嘱されていて、一方の管弦楽作品は、通常の2管のオーケストラと邦楽器アンサンブル、そして妻の那名子が詩を書いた混声合唱「ふるさとの風」を最後に配した25分の《ふるさと交響曲》Folk Symphonyとして、昨年9月21日に完成している。その次の日《幸せのパゴダ》の決定稿が到着するという効率のよさで直ちに作曲に入った。

フォークオペラ《幸せのパゴダ》"The Happy Pagoda" A folk opera in 10 scenesは、徳島市にオケピットを持つホールがなく、県の持つ800席の郷土文化会館を改装して国文祭グランドフィナーレが行なわれるので、舞台上で8人の歌手と4人の器楽奏者が展開するアンサンブルオペラとして構想した。台本は、知事から依頼された直後の6月、大阪いずみホールで行われた《春琴抄》公演で素晴らしい演出をした若い岩田達宗氏に演出も合わせて依頼した。台本決定までの経緯や初演の細目はのちにHPに載せる。しかし、大水害で稽古場をやられ、存亡の危機に瀕した音楽劇団の生態を通して社会を描き、セリフと歌・器楽が有機的に進行する、1時間半から2時間近くを要する極めてユニークで面白いフォークオペラになると確信している。当然、1986年に私が創立して260回もフォークオペラ《うたよみざる》を上演してきた「歌座」の名で上演したかったが、事情あって「歌座」の名が使えなくなっており、その創座のポリシーを引き継いで「三木オペラ舎」の名前で公演する。練達のスタッフ・キャストが決まり、指揮は榊原徹。11月3日午後公開GP、4日午後初演はともに招待制なので、このHP上でも申込を受け付けるつもり。

2月11日、岡山シンフォニーホール開館15周年記念としてオペラ《ワカヒメ》が上演された。予算もあって当初はコンサートオペラとして企画されたが、指揮:飯森範親、演出:大島尚志、岡山フィルハーモニー管弦楽団ほか岡山関連のキャストながら、何のなんの、完全なオペラとして出色の上演がなされ、チケットも完売だった。《ワカヒメ》の項目内でこの岡山での3演目の写真や新聞報道が見られる。

3月4日、昨年末に全音楽譜出版社が出した「三木稔オペラアリア集1」出版記念コンサートが東京室内歌劇場主催で津田ホールに満員に近い聴衆を集めて行なわれた。日本史オペラ8連作の前半《春琴抄》《あだ》《じょうるり》《ワカヒメ》からの21のアリアを、21人のソリストたちが歌ってくれた。演奏した方々からも聴衆からも沢山の賛同を得たが、私が送った手紙「東京室内歌劇場の皆さん、感謝の一言です」で私の喜びを感じていただけよう。このコンサートに関連して東京新聞から求められて書いた「アリアに命を託して」と題した記事も載せた。

3月25日、津田ホールでのオーラJ第19回定期演奏会で「邦楽器による伝説舞台《羽衣》」全曲を指揮した。1964年日本音楽集団を創立した時から、専門の指揮者を育てる目的があって、作曲者が指揮することを謹んでいたため、それまでより極端に指揮する機会が減った。1981年の《あだ》米初演や84年イリノイ大学での上演、また故芥川也寸志さんたちに唆されてNHKテレビや「反核日本の音楽家たち」などのコンサートでオケの指揮をするチャンスが数年続いたり、日本合唱協会や東海メールで自作合唱曲を振ることもあったが、オペラ作曲が続いたその後は殆ど指揮をしなかった。久しぶりに指揮すると練習から緊張するものだ。幸い本番は1時間半を完璧に振り通せたためもあって、作曲家に比べて指揮者が長命である理由がわかる気がした。初演時同様、ソプラノ:赤星啓子、バリトン:石鍋多加史の熱演に助けられて、オーラJのメンバーも楽しく演奏したように思う。また、このコンサートは再演であるため一切の助成援助なしに遂行されたが、沢山の有料入場者があって、ほぼ収支バランスが取れたようだ。これからも《羽衣》は沢山の人と邦楽器の暖かい結び目として演奏され続けるであろう。

4月6日、《あだ》《じょうるり》《源氏物語》の演出や台本を手掛け、《うたよみざる》《ワカヒメ》の英語版を作ってくれた1972年以来の親友コリン・グレアムが心臓の病で75歳で逝った。私と西欧文化を繋ぐ最も強力な絆あり続けてくれた心優しい天才であり、厳しいオペラ演出家だった。これほど悲しく淋しいことはない。彼と私の35年間の仕事に関連しながら、親しい方々に送ったコリン・グレアムの逝去について三木よりのメールを開いてみてください。

45年ぶりの快挙! 1962年に作曲して、63年に《レクイエム》、オペレッタ《牝鶏亭主》と併せ一挙に初演され、男声合唱界の古典のように扱われている《合唱による風土記 阿波》は、各県の合唱団や有力大学グリークラブの演奏で、殆ど総ての日本の各県で演奏が記録されているが、肝心の阿波の徳島県では5曲まとめて演奏されたことがなかった。なによりも故郷の名誉のために作曲した私にとって、まさに恥部であった。それが喜寿の年に遂に晴らされた。4月29日、新装なった徳島郷土文化会館での徳島男声合唱団「響」の第三回定期演奏会で、45人のメンバーによって見事に徳島初演され、大拍手に迎えられたと、藤川卓司団長より連絡を頂いた。「自分たちのこれまでのレパートリーの中でたちまち一番好きな曲になった」という。これからは是非十八番として末永く活用して欲しい。

5月3日(祝)14:00東京文化会館小ホールで行われた浅草混声合唱団第9回定期演奏会で、指導者の阿部葉子さんと、副指揮者で旧制六高以来親友の谷始君が私を強く推して、「三木レク」と愛称されている私の《レクイエム》混声合唱版(今回はピアノ・エレクトーン伴奏)改定初演の指揮をさせてくれた。昨夏以来月一度は練習で棒を振っており、1963年、男声合唱団東京リーダーターフェルがオーケストラ伴奏版で初演したとき、バス・パートに加わって暗譜するくらい歌った経験があるので、頭が柔軟に対処してくれた。ブラームスのドイツ・レクイエム同様、ラテン典礼文を使用していないので当然問題はありうるが、太平洋戦争で天寿を全うせずに逝った人たちへのレクイエムとして日本語で作曲し、小林健一郎氏指揮などで、無数に上演されているこの42分の大作を、今回私の心の中では、コリン・グレアムへの鎮魂曲として演奏させていただいた。
阿部さんが決めたことはいえ、モーツァルトが36歳で書いたレクイエム(通称モツレク)がコンサートの前半で、私が33歳の時に書いた「三木レク」が後半に位置することは、超満員のお客さんと大楽聖に申し訳ない、ただ77歳という今の年齢ゆえに許していただけるかも、と舞台から釈明させてもらった。 「三木レク」混声版追加初演への感想をクリックしていただければ、多くの人の反応を引用してあるのでコンサートの模様がよみがえるかも知れない。作曲者の指揮は通常色目で見られるし、実際とてもプロフェショナルとはいえないと思うが、谷が厳しい練習で整えてくれた演奏者に対し、コンダクトというより、誠実なガイドに徹したせいか、演奏者からも聴衆からも望外の評価が伝わってきた。私と親友のダブル「生前葬」は、粛々というより、指揮を見つめる感動を込めた無数のまなざしをエネルギーに、暖かく、いやむしろ終始熱く燃え滾った気がする。

私は7年前古稀を迎えた年に進行性の前立腺がんが発覚し、よくて数年の命と観念した。同時期に新国から委嘱された《愛怨》を書き終えるまでの命を乞いながら、なんとか無事その初演を果たして、次なる5ヵ年計画を内々立ててこのように仕事を重ねているが、今年は喜寿となった。私が非常勤講師や客員教授として月に1,2回通った東京音楽大学での数少ない弟子と、ゼミナールに学外から熱心に通ってくれた作曲と評論の数名が企画者となり、6月20日(水)19:00よりのオーラJ第20回定期演奏会を、今回は津田ホールからホール協賛を受けて「三木稔喜寿記念、各年代の特徴的邦楽器合奏作品より」と題するコンサートが行なわれる。ありがたいことだ。60年台の《古代舞曲によるパラフレーズ》(ソプラノ・ヴォーカリーズ:赤星啓子)、70年台の《ダンスコンセルタント1「四季」》、80年代の《松の協奏曲》(=筝協奏曲、木村玲子ソロ)、90年代の《ロータス・ポエム》(=尺八協奏曲、坂田誠山ソロ)の4曲。指揮は最初の作曲の弟子で芸大大学院にいる西田幸士郎。いつもに倍するリハーサルが熱く進行中。どうか皆さん、こぞってご来場を。
【注】このコンサートに際して、オーラJが私へのメッセージを各方面から頂き、間に合ったものをプログラムに載せた。遅れて着いたものも合わせてごらんいただけるよう準備中。また、批評アンケートも準備中。

7月3日(大安)、上記フォークオペラ《幸せのパゴダ》がついに完成。それと今年前半に行われた5つのオペラやコンサートが満員になったことの報告や、夏の音楽祭、国文祭の案内を書いて友人たちに送った。

オーラJ所属で、私の新箏(21絃)作品を弾き続けてきた筝演奏家藤川いずみさんが企画して、彼女が推進してきた三木筝作品の(大日本家庭音楽会出版部などよりの)出版に見合うCD録音が、2月オーラJメンバーによる録音セッションで終了し「結レコード」レーベルで発売間近である。今回は13絃筝・17絃筝と尺八の合奏《瀬戸内夜曲》、13絃筝二重奏の《芽生え》、13絃筝と17絃筝合奏《ホタルの歌》、尺八と13絃筝《千絵の曲》、尺八ソロ《山千禽》、13絃筝と17絃筝5重奏《三つのフェスタル・バラード》を収録している。総てポピュラリティーのある作品で、演奏者たちにも喜ばれよう。作曲者としてもありがたいことだ。

アジア アンサンブルがヴァンクーヴァー・フェスティヴァルから招待されて8月5日と6日を中心に幾つものコンサートを行なう。追って内容をHPに載せる。
[注] 申請中だった旅費への助成が決定したものの、予定の半額だったため、フェスティヴァル側で急遽追加fundingが行なわれたが、公式印刷物発行の期限に間に合わず、残念ながら今年は延期となった。

8月22日から26日までの5日間に10公演が行われた八ヶ岳「北杜国際音楽祭(HIMF)」2007には三千人超の来聴者があった。その生の感想やアンケート、東京紙のコラムでの報道を見ても、確実に聴衆の心に深い印象を残したと思われる。昨年は貧しい一作曲家の無謀な夢の実現で、芸術振興基金の助成や細かい協賛を加えても3日5公演が精一杯だったが、今年規模を倍増できたのは、私が小淵沢に仕事場を構えた1998年と奇しくも同じ年、自然との共生を求めて東京から全社員を引き連れ、小淵沢に本社を構えた大手化粧品会社アルソアの滝口友樹哉社長ご夫妻のバックアップを得られたからだ。昨年の音楽祭で、この音楽祭の目指す方向とシズカ楊静の演奏に感動されたご夫妻は、私への協力を確約され、自社に留まらず地域に奉仕するNPO「八ヶ岳自然村」を設立し、その主催(白倉政司北杜市長のご好意で市が各施設等を提供して共催)で音楽祭の運営をする体制を打ちたて、私は芸術監督に専念できることになった。しかも小淵沢の「道の駅」近く、赤松の森に囲まれた緩やかな芝生の傾斜地に「アルソア野外劇場」が新設され、まだ不備な点もあったが、そこでの4公演は特別な感興を齎した。 …以下全文

音楽祭が終わるのを待ち構えるように、11月4日(3日公開GP)に徳島で行われる今年の国民文化祭グランドフィナーレが迫って来ている。地元の徳島祝祭管弦楽団、徳島邦楽集団、徳島県合唱連盟によって夜のパート2で初演される《ふるさと交響曲》は夏前から練習に入っており、「三木オペラ舎」としての初仕事となるフォークオペラ《幸せのパゴダ》は東京で8月下旬からコレペティ稽古が始まっている。立ち稽古は10月からだが、台本・演出の岩田達宗はワクワクと練習開始を待っていると連絡をくれた。私にとって4作目になるフォークオペラで、長編オペラは「日本史オペラ8連作」とあわせて12作となる。歴史的には現代部分を補う作品でもあり、もうすぐ始まる音楽稽古から参加したいし、《春琴抄》に続く岩田演出が待ちどうしい。尚、初演データーは上記国民文化祭グランドフィナーレをクリックすると見られる。

その練習中に、私は香港中楽団が主催する「第4回中国音楽国際シンポジウム」の講師として10月13日から16日香港を訪問する。私に求められているプレゼンテーションの内容は「異なったアジアの国々における伝統音楽の遺産と改革」というもので、私自身の実践の報告でもあり、アジア共通の問題を提起して来た私にとって、英語で纏めるいいチャンスだと考えている。

国文祭のあと、『楊静と結アンサンブル』が10月21日くらしき作陽音大、23日四国中央市土居記念館、25日徳島県阿南市コスモホールでコンサートを持つ。よんでん文化振興会の派遣助成の前後のチャンスで、通常成立が難しいアクティヴィティーを拡げるのだ。シズカ楊静と私は24日鳴門の大塚国際美術館システィーナホールでの10周年記念コンサートでの演奏も依頼されている。

昨年新国立劇場で世界初演されたオペラ《愛怨》のハイヴィジョン録画がDVDとなって世界中に発売される計画が(株)TDKコア(日本での発売元はキングレコード)で進められており、現在各種権利問題の解決に努めている。予定どおりだと11月中、ご期待ください。

三木 稔