三木 稔 Home Pgeへ 黄の鐘・抄

黄の鐘・抄について
 《黄の鐘》は、1992年、日本音楽集団の委嘱で書いた大編成の雅楽器・邦楽器群そしてソプラノ・ソロの作品。再演の折には更に女声合唱を加え、神話時代・古代・中世・近世・近代を経て現代に至る日本史の流れを音楽的に構築した三十数分を要する音楽叙事詩であった。
 日本史の流れは、第一に、各時代の音楽様式の香りを伝え、第二に、各時代の女性の代表的なことばや詩歌を歌化して、その時期の女性の姿を浮き彫りにしようと試みた。
 そして各歴史時代の過渡期に、平和な音楽の時を打ち消す戦争や葛藤のあったことをを示す部分を挿入し、戦いと平和を繰り返してきた日本女性史をなぞる音楽劇でもあった。
 今回「私たちは二度と戦わない」というテーマに沿い、千数百年の歴史を、戦いも含めて共有してきた中国とモンゴルの演奏家の協力を得て、原曲と編成も作品構成も異なるが、よりクリアに聞こえる《黄の鐘・抄》を創ってお届けしたい。演奏時間は半分となる。
 「あなにやし えをとこを」「あなにやし えをとめを」と叫ぶおおらかなイザナミ・イザナギの声を最初に、中世らしさを象徴する「あはれさらば忘れて見ばやあやくにに わが慕へばぞ人は思はぬ」という風雅集・進子内親王の歌を謡曲風に捉える。戦国の、しかし前に進もうとして時代を経て、封建的な近世は江戸時代の伝統的な美感ながら物言えぬ女性はハミングで歌う。
 そして、絶対に繰り返してならない侵略戦争の時期は、戦中戦後の事実から私自身で下記の詞を編んだ。戦犯で処刑される息子への悲痛な母の叫びとして《黄の鐘》の意味をお考え頂きたい。「黄」は中国・日本の音名である黄鐘と関連すると同時に、アジアの色であり、注意をうながす強い色。「鐘」の響きはさまざまに人の心を打つ。われわれ日本民族が周期的に無残な殺戮を繰り返してきた事実を、戦後50数年の平和と繁栄の中で忘れぬよう、テロや報復や不況で騒然たる世界の現状の中で、日本が決して不用意に巻き込まれぬよう、私たち悲劇的な時代の体験者からの警鐘とお聞きいただきたい。
 ――学徒出陣で出征する息子に――
なぜ なぜ お前は征く 志を捨てて
なぜ なぜ 私を置いて
 祖国(くに)のため 正義のため
 誰が決めたのです そのようなことを
神さま あなたはむごい
あの子を奪わないで


 ――戦犯を問われた息子に――
なぜ なぜ お前が罪を 命じたものは誰
なぜ なぜ 真実を訴えぬ
いつわりの大義のもと
 召されたお前に 拒むすべはなかった
神さま 戦争って何
あの子は裏切られたのです


 ――死刑執行を待つ息子に――
いま いま 黄の鐘が鳴る 奪われる私の宝
なぜ なぜ 裁くことができる
 戦い合った 人が他人(ひと)を
 もう明日はない この母
神よ 私をお召しください
あの子の代わりに

ああ なぜ お前は逝く 
ああ いま 黄の鐘が鳴る


三木 稔