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三木稔 歌楽(モノオペラ) 作品紹介

 歌楽(からく)とは、日本語による歌や語りと少数の楽器による劇音楽で、三木が今日の社会にある身近な問題を訴えていくために開発した様式です。一種の新浄瑠璃でもあり、モノ・オペラとして上演されることもありえます。

歌楽《ベロ出しチョンマ》 歌い語りと二十絃筝(またはピアノ)による
作曲年◆1980年
原作◆斎藤隆介(佐倉惣五郎の実話が下敷きになっている)
時と場所◆江戸時代。千葉の花輪村
ストーリー◆主人公の長松は作曲者が書いた下記の詞のような12才の子供。3つのウメが泣きだすと、眉毛をハの字に下げてベロッとベロを出す。そのマヌケタた面に似合わぬやさしい心根を持つ。洪水や地震で疲弊した村に課せられる過酷な年貢に耐えかねて、父ちゃんを中心に大人たちが極刑に値するラジカルな相談をするのを、チョンマはいつも聞いていたが、ことは遂に露見して家族全員ハリツケに処せられることとなる。刑場で槍の穂先がウメに擬せられ、ウメが「おっかねえーッ!」と泣くのを聞いたチョンマは「おっかなくねえぞォ、見ろォアンちゃんのツラァーッ!」と叫んで眉毛とベロをいつものように! そしてベロを出したまま槍で突かれて死ぬ。
登場人物◆謡い語り:バリトンを基本とする
楽器編成◆二十絃筝またはピアノ
上演時間◆27〜30分
委嘱・初演◆1980年12月12日、東京日経ホール。障害者のために楽器を贈ることを目的とした野坂惠子第9回筝リサイタルのために自主作曲。初演者は歌い語り:友竹正則、二十絃筝:野坂惠子
出版◆全音楽譜
CD◆カメラータ・トウキョウ32CM-143
◆斎藤隆介の原作を収めた角川文庫版の小西正保の解説に、チョンマは「おのれが誰かの犠牲になるという特別の悲壮感もなければ、他者へ貢献するということへのヒロイックな決意もない。ただ、みずからの肌の痛みよりも他人の痛みのほうが、より痛烈な自分自身への痛みとして感じられる天性のやさしいこころねの」わらしこである、という紹介がある。このこころねを自分に課しつつ作曲された。
 折しも韓国では、金大中氏の死刑が宣告・執行されるかもしれないというギリギリの時を迎えていた。「直接救援の手段を持たない私たちは、長松親子をハリツケにする刑場の竹矢来の外で、ひたすら念仏を唱えることしかできない村人たちと同類である。この作曲も、必死で竹矢来をゆさぶる行為の一つであった」と作曲者は書いている。
 作曲者は、原作を脚色せずそのまま使用したが、象徴的な歌として《チョンマの歌》
が始めのほうと終わりのほうに一度づつ必要だったので、原作を尊重しつつ自分で下記の詞を編んだ。
   長松、長マ    長松、長マ
   トンマと重ねりゃ チョンマ、チョンマ
   名主の父ちゃん  働き者の母ちゃん
   幼ないウメは何も判らぬ
   長松、長マ    目玉むいて
   ベロッとベロ出しゃ チョンマ、チョンマ
注:終わりのほうで歌われるときは、
   4行目後半を「何も判らず、皆んな殺された」、
   6行目は「ベロッとベロ出しながら、突かれて死んだ」
と歌い替えられる
 
歌楽《鶴》 歌い語りと尺八、二面の二十絃筝による
作曲年◆1978年
原作・台本◆蓬莱泰三
時と場所◆特定できない昔、都と都に近い田園
ストーリー◆弓で射殺された父鶴を想いながら、母鶴はけなげに子を育てている。自分の留守には、決して外には出ぬようにと言い置いたにも拘わらず、ある日、子鶴は人間たちにおびきだされ、網で捕らえられてしまう。いとしいわが子の行方を求めて、母は狂おしくさすらい探す。都の大臣の館に捕らえられていた子鶴を発見した母鶴は、必死に祈り、人間の女の姿に変身して館の中庭に忍び込む。檻の中の子鶴は目の前の女が恋しい母であるとは気づかず逃げ、かばった母は衛士たちの矢に射貫かれて倒れる。折から降り出した雪の中で、母はよろめきつつも立ち、子の幻を見つつ舞う。今は昔、都大路の雪の夜は、夜っぴて鶴が鳴いたという。
登場人物◆謡い語り:ソプラノまたはメゾソプラノを基本とする
楽器編成◆尺八、2二十絃筝、
上演時間◆30分
委嘱・初演◆1978年、二代目西崎緑の委嘱により、《鶴》は演奏者8名、約一時間の創作舞踊として初演された。同年、三木はそのト書から語りことばをおこし、上記編成による歌楽様式に改作。台本を原作者が補筆
楽譜・録音物◆三木音楽舎
◆動物の形を借りつつ、人間の世界の在り方を強く意識させるこの作品は、歌楽としては《ベロ出しチョンマ》と並んで、多くの歌い手や演奏者によって上演が続く。歌い手は、物語り、かつ日本的な旋律感を持った詩形の歌を謡う。三つの楽器は、自在な書法で書かれており、物語の進行を表現すると同時に、情景と情緒の両面を支える。1994年、三木の主宰する「歌座」では、この歌楽のモノオペラ化を図り、以後、さまざまの演出によってモノオペラとしても上演されている
 
歌楽《まぼろしの米》 歌い語りと二十絃筝による
作曲年◆1977年
台詞◆秋浜悟史
時と場所◆天明年間、岩手と秋田の山中
ストーリー◆東北を襲った天明の大飢饉の折、南部藩から禁を犯して隣りの秋田領に脱走しようとした夫婦は、まぼろしのように求めた餌に心を奪われて、疲れと飢えとで一歩も動けなくなった子を崖の下に突き落とす。だが子は、途中の藤づるに引っかかって三日三晩泣き暮らした後、遂に墜落する。親たちは崖下に下り、河原の石を焼いて、死んだ子を食う
登場人物◆謡い語り:バリトンまたは演劇の役者
楽器編成◆二十絃筝
上演時間◆18分
世界初演◆1977年、青山タワーホール、語り謡い:伊藤惣一、二十絃筝:野坂惠子
英語版・フランス語版◆David Hughes訳の英語版は1979年ロンドンで初演(語り謡い:Colin Graham)。Carlos de Aguirre Lugo訳のフランス語版は1982年ブラッセルで初演(語り謡い:Albert-Andre Lheureux)
楽譜◆音楽芸術1980年9月号付録として出版(日本語版と英語版)。現在フリー(三木音楽舎扱い)
LP◆1979年、カメラ―タ・トウキョウが発売したLP「野坂惠子・三木稔/二十絃筝の世界」(CMT1015〜8)に世界初演者たちの演奏で収録(芸術祭優秀賞受章)
◆《まぼろしの米》のテキストは1969年に三木が音楽を担当した秋浜悟史の戯曲『おもて切り』の劇中詩。第二次世界大戦による大飢餓を知る作曲者は、頻発するアフリカの飢餓に触発されて、同じテキストで《我鬼》と名付けた無伴奏混声合唱曲を70年に書き、77年全く違った手法と演奏者で《まぼろしの米》を作曲。子喰い扱った極めてショッキングな題材であっても、弱肉強食という人間の原罪を問う、普遍的で力強い劇音楽を志向している。詞は主として語られるが、終わりの三行は語り手が、鈴を振りつつ御詠歌的に唱える
 
月の兎 わらべ語り風歌楽
作曲年◆1982年
台本◆若林一郎。(良寛の有名な挿話による)
時と場所◆昔々山奥での話
ストーリー◆仲良く暮らす狐と猿と兎は、たとえ獣であっても、互いに助け合い、命あるものを愛しんで楽しく清く日を送ろう、と語り合う。ある日、息絶え絶えの老人が助けを求める。三匹はみんなでこの爺さんを養おうと決心する。猿と狐は木の実取りや魚獲りで大活躍するが、兎は何も獲物をもって来れない。あざ笑われた兎は「爺さんにうまいものをあげたいから火を焚いてくれ」と2匹に頼む。そして火中に身を投げて死ぬ。(この後長い器楽部分、そして兎のやさしさを称えるアリア的な部分が続く)。たちまち老人は神の姿になり、兎のなきがらを月に運んでいく。(そして月の兎の健気さとやさしさが歌われる)。
登場人物◆歌い語り(音域的にはDを上限とする中低音)(三味線を弾き語りしてもよい。踊りがついてもよい)
楽器編成◆三味線細・中棹、篠笛・能管、打楽器(小鼓・3木鉦・3木魚・3キン)
上演時間◆15〜16分
委嘱・初演◆谷珠実「歌と語りの現代」で初演のため委嘱を受け、1982年11月12日東京ABC会館ホールで初演。謡い語りと三味線:谷珠実、篠笛・能管:望月太八、打楽器:尾崎太一
 
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