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2011.6
2011年6月のメッセージ集

2011年に1月15日に横浜みなとみらい小ホールオペラシリーズNo.16として「のはらのファンタジー」が、《ベロ出しチョンマ》と《のはらうた》を組み合わせて行われ、おおいに聴衆を感動させたし、1月26日、邦楽創造集団オーラJの第26回定期演奏会が「穏やかに反骨を貫いた作曲家 三木稔 その到達した傘寿の祭典。若き俊英とに!」というキャッチフレーズを伴って、収容人員720の渋谷区の新しいホール大和田さくらホールで行われた。
当面100回定期を目指すオーラJの第2クオーター開始コンサートと位置づけたこの定期は、ほぼ満員の650人ほどの入場者で華やいだ雰囲気を醸し、たぶんオーラJとしては創立以来最高のコンサートを成就することができたが、年を越えたので、項を改める。3月には徳島で1時間のエコ・オペラ《きみを呼ぶ声》徳島初演もあり作曲者として臨席した。

昨年までのHPで、37年を要して『三木稔、日本史オペラ9連作』《春琴抄》、《あだ》、《じょうるり》、《ワカヒメ》、《静と義経》、組オペラ《隅田川+くさびら》、《源氏物語》、《愛怨》、《幸せのパゴダ》が完成したことは報告済みである。

今年のHPで、作曲者として一番伝えたいのは、かつて東京リーダーターフェルという男声合唱団が、木管・金管(部分4管)・打楽器・バリトンソロ・6人のコントラバスという特殊な編成で1963年に初演し、私の初期の出世作となった、南太平洋マンガイヤ島に三百年程前から伝わる、その島の王子の死を悼む自然発生的な詩の日本語訳を基にして作曲中の、木管(2管)・金管(部分4管)・ 3打楽器・ソプラノソロ・バリトンソロ・混声合唱・フルオケ規模の弦(オリジナルのコントラバス6人を含む)という41分・6楽章を持つ巨大な《レクイエム》を日夜休むことなく作曲中(オーケストレーション)中という報告である。
 1945年8月、戦時中の教育に忠実に海軍兵学校予科で終戦を迎え、すでに戦後の人材育成に向かっていた針尾(7月防府に疎開)の同校で、連日の空襲下1200人が集団赤痢に侵され、薬一つない最悪の状態で、私の周辺でも両隣が次々に死亡した。15歳の私は、8月に帰郷後、南太平洋マンガイヤ島の王子が数百年前に逝った時、人々の間で自然発生的に生まれた不思議な詩の日本語訳を、神田の古書店で見出してから、レクイエムの題材として暖め続けていたが、今回この大編成版をの最終遺作として残したいと日夜完成を期して努力を重ねている。
 心ならずも罪をかぶらざるを得なかった先の太平洋戦争のあまねく先輩犠牲者へに代わって、作曲家として衷心から表明すべき鎮魂の曲として、どうしても書き上げておかねばならない作品と言わざるを得ない。
 しかし、この作品を、前立腺がん末期状況に置かれ、転移進行中の情報もある私が、年内または来年半ば頃までに完成させられるか否かは、極めて不明確であることをHP上でお知らせせねばならないことが残念でたまらない。

作曲とは別に、6つの演奏団体を創立してきた私が、その表現の場として、オペラ《愛怨》が完成した2005年に、日本の中央高原とも言うべき標高1000メートルの地に、その活動の集大成として『北杜国際音楽祭(HIMF)』のスタートを決意、第5回に当たる今年を最後に、創始者として極めて残念ながら、担当プロデューサーは終結の決意を表明している。

今後、『北杜国際音楽祭(HIMF)』創始者の私としては、別の形でこの音楽祭が(大きく地域をも移動させる手段を含み)再現される日を祈りたいと強く思う。

私が作曲だけでなく、それぞれの創立に関与した6つの演奏団体や、その集大成として2006年に創始した『北杜国際音楽祭(HIMF)』や、他の情報はそれぞれの団体のHP・広報に任せ、この遺作情報には含めない。


私が、《三木稔、日本史オペラ9連作》を完成させた後、2010年6月、ハイデルベルク劇場におけるそのドイツ初演を欧米への最後の旅と考え、12月韓国に足を運んだ以外、海外には赴かなかった。今は1963年のヴァージョンでなく、2管の木管・4管の金管・3人の打楽器・ソプラノ&バリトンのソロ、混声合唱・弦5部(14+12+10+8+6)という巨大なオーケストラのための6楽章・41分の新作《レクイエム》で、超多忙の中、今年3月より、日夜オーケストレーションに励んでいる。完成はおそらく年を越し、2012年半ばとなろう。これは三木稔の人生で、これ以上はなにも作曲をしない、という強い決意を表明した遺作であり、現在まだ第2楽章を作曲中の作曲者は、不足する作曲時間を憂慮している。
 初演は、没後2年程度後に彼の『3つのレクイエム』コンサートでなされることを望んでおり、それらは次の曲順で行ってほしい。
 第1部冒頭には、彼が1989年、中国作曲界と民族音楽界の期待を背負って、大コンクールの唯一の外国人審査員として北京滞在中、あの天安門事件に遭遇、目撃者として、他の審査委員たちから『レクイエム』の作曲を懇望された経緯によって、『北京祷歌BeijingRequiem』が置かれる。
 第1部の終わりは、続いて、私が創立したプロフェッショナルな邦楽器アンサンブルが合同して『コンチェルト・レクイエムConcertoRequiemを演奏し、最終第2部の大トリには作曲中の巨大《レクイエム》が置かれ、その初演がなされる予定となっている。第2部の、その直前には、《琵琶協奏曲Pipa Concerto》など、私の作品の紹介者として活躍してきた、現在スイス在住の楊静(Yang Jing)が来日し、オペラ第8作《愛怨Ai-En》中のレクイエムの風格に溢れた琵琶秘曲《愛怨》をソロし、日本語の巨大レクイエムに繋ぐ構想である。

三木 稔