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2005.7
2005年7月 のメッセージ集

7月1日、大安の夜、遂にオペラ《愛怨》が脱稿した。「奈良時代」「遣唐使」「琵琶」をキーワードにお願いしていた瀬戸内寂聴さんの素敵な台本を頂いたのは、待ちに待った一昨年8月末だった。初演スケジュールに遅れることを恐れ、先行して器楽部分の作曲に入っていた私がすぐデッサンに取り掛かり、1年半を要して昨年12月ヴォーカルスコアが出来上がったことは前回のWhat's Newに書いた。その後2ヶ月、他の急ぎの仕事に時間を取られたり、ホノルル交響楽団とシズカ楊静の《琵琶協奏曲》演奏でハワイを訪れたりした。そのため、75才になった私に期日までの完成ができるのだろうかと心配してくれた人も多かったが、以後の、われながら素晴らしいと感じた集中作業で、過酷なオーケストレーションを半年足らずで克服することができた。

実は私は、前の《源氏物語》初演後に前立腺がんが発覚、それも第3期進行がん後期だったので、発覚とほとんど同時に新国立劇場から頂いたチャンスを辞退せねばならないかと一時は悩み通した。しかし発達したホルモン治療、そしてその間歇療法のおかげであろうか、一病息災とはこのことかと思うほど元気に5年計画を全うできた。体は持っても精神の閃きを失っては意味がないが、それも若い時以上にイマジネーションを連鎖することができ、むしろ最近よく言われる「楽しみながら」という部分も実体験したようにさえ思う。これからコンピューターに入力されるフルスコアの校正が終了するのは大分先になろうが、とにかく作品はしっかりと実在することになった。

来年2月17日からの新国立劇場の世界初演のデーターは、劇場のHPの中の
www.nntt.jac.go.jp/season/opera_2005_6/ai-en.html に発表されているが、作品自体のデーターはこのHPの「三木オペラ作品への招待」日本史連作オペラに詳しくある。

思えば1972年末、《春琴抄》と《あだ》を、日本とイギリスのオペラ界からほとんど同時に委嘱を受けてから33年、途中からはっきりと目標に掲げたが、日本が中央集権化した5世紀の《ワカヒメ》から始まって、8世紀《愛怨》、10世紀《源氏物語》、12世紀《静と義経》、15世紀《隅田川+くさびら》、17世紀《じょうるり》、18世紀《あだ》、そして日本が近代化する明治維新前後、19世紀の《春琴抄》に至る1500年間の各時代精神を探り、かつその時代に盛期を迎えた各種芸能にかかわりつつ、『三木稔、日本史オペラ8連作』として現実に完成した今、われながら感無量である。
ヴェルディのように歴史物をたくさん書いた人でも自国の歴史を系統的にオペラ化しようとしたわけではなく、ワーグナーのように4作の大リングを書いた例はあっても、一つのテーマで8連作はない。『近世3部作』を終えて古代の《ワカヒメ》に着手したころから、これは一つの大河や富士山でなく、ヒマラヤ連峰を踏破するのだという気概に変わった。

オペラは、スポーツやポップスのように今を華やぐ待遇を受けてはいないし、私の作品が自分の考えるようには人々に受け入れられているはずもない。また私は、6つもの演奏団体を創立して、常に耕して種を蒔く立場を繰り返し、成熟したら人に任せてきたため、収穫期のうまみは知らない。そういう貧しい一作曲家のくせにオーバーな、と笑われるであろうが、百年後を信じる気概なくして33年を持ちこたえることはありえなかった、と述懐する。
そのうち3作を英米からの委嘱で作曲初演しただけでなく、貧しくとも常に世界市場を念頭に創造し続けてきたが、その最終作品を自然な流れでわが国の新国立劇場の委嘱作品として受け、完成させることができたことは幸運であり、満足の行くプロセスと受け取っている。

オペラ作品については今後8ヶ月間いろいろある。まず7月11日、これも大安だが、福武文化財団の助成を受けて、長年の協力者コリン・グレアムの英語版とそのデーターのコンピューター入力ができた《ワカヒメ》のヴォーカルスコア(日本語・英語両用)が、旧制高校時代の岡山関係者のカンパを得て405ページの立派で美しい楽譜となり、BCA(作曲者の自主出版組織)より出版され、ヤマハなど店頭でも買える。

ついで9月21,23,25日、《じょうるり》の世界初演で美術・衣装を担当された朝倉摂さんが芸術監督に就任された北千住駅前の新劇場Theatre 1010で、英語での世界初演以来なんと20年ぶりに日本語初演が行われる。世界初演時にすでに日本語版は平行して作ってあったが、昨年自分の手で全面的に改作した。コリン・グレアム演出、アンドレアス・ミティセク指揮ほか、まことに望ましいスタッフ・キャストだが、これも上演実行委員会方式で、朝倉先生のご努力にひたすら頭が下がる。

11月8日市谷ルーテルセンター、10日千葉駅前のば・る・るホールの2回行われるオーラJの第17回定期演奏会では、オペラではないが邦楽器による伝説舞台《羽衣》を新作初演する。1995年にモスクワで日ロが共作してロシア語で初演した音楽劇《羽衣》に私が書いた極めて素朴な歌の旋律を生かしながら、男女の歌手と邦楽器群の音楽ナンバーが伝説世界を演じていく。これから全員参加で器楽部分の創作にかかるが、老若男女誰でもが重ねて見たり聞いたりしたくなる、今までの邦楽器にない世界を作り出してお見せしょう。

そのオーラJの第16回定期は7月28日カメリアホールでチラシの要領で行われる。
私の作品は冒頭の《ソネット1》と最後の《松の協奏曲》。《ソネット1》は「愛のコリーダ」のテーマ曲の一つで内外にファンが多いが、《松の協奏曲》は中国と韓国でそれぞれ日本の何倍も演奏されている。伽耶琴でこの曲を弾けるとは思ってもいなかったが、韓国で何十回も演奏しているという韓国国立国楽管弦楽団のソリスト文良淑Mon YangSookが、9月にモスクワのオーケストラと演奏するので西洋オケ版を作って欲しいと依頼され、《愛怨》の疲れを癒す間もなくそのオーケストレーションを始めている。

台湾から、10月後半に4日間行われる民族楽器大コンクールの審査と基調講演の依頼が舞い込んできた。依頼状によると私の箏作品に"huge fans"がいるそうなのと、協奏曲と民族楽器の合奏が今回のコンクールのテーマなので、どういう曲が飛び出すのか大変楽しみである。

今年の「アジア アンサンブル」は10月、会津田島町と私の住む狛江市エコルマホールで公演する。昨年津田ホールの公演を聞いて「奇跡的なアンサンブル!」「ここ数年聴いた演奏会で最も感動した!」「歴史的瞬間に立ち会えた!」とスタッフに言い残した水野修孝さんに、それなら是非作品をとお願いしたら快く受けてくれた。大変期待している。

シズカ楊静が3月に私の《琵琶協奏曲》をホノルル交響楽団と演奏した折の新聞評を見て欲しい。彼女はその直後日本でドキュメンタリーフイルム『古墳と観音の里』の音楽を私と共同で担当し、次の日スイス帰ってChamber Soloists Luzerne(CSL)と私の《東の弧East Ark》のヨーロッパ初演を大成功させた。6月はじめ徳島県の2ヶ所で「楊静と結アンサンブル」のツアーもフレッシュで、世界の民謡のステージを加えて俄然ポピュラリティーを増した。

こういった中国や韓国との交流、というより新しい共通したアイデンティティを持とうとする芸術活動はこの先どういう風にプロデュースしていけばいいのだろう。ともに自国民を操るため民族的・愛国的行動を暴走させている小泉政権と中韓政権との間のギクシャクした現状に深い失望と危険を感じているのは私たちだけでなく、アジアの全ての文化関係者も同じではなかろうか。私は長年民族や伝統とかかわってきたが、常に国粋主義への流れを恐れ、警告してきた。靖国とは何なのか、現実に祀られている魂や家族の本当の声を聞きたい。日本の軍国主義を正当化する靖国神社は中韓のみならず英米にも拒否反応があって当然だが、頼りにするアメリカが「参拝を止めろ」といって来たらどうするのだろう。日本の外交は連戦連敗のように思える。そのなれの果てに考えられるヒステリックな行動が怖い。今はまた、アジア問題だけでなく新たに7・7というロンドンの悲劇が起きた。テロは絶対に容認できないが、もし名指されている日本に惨禍が及んだ時、小泉さんたちはA級戦犯と同格になるという覚悟を持ってイラク駐留やアメリカとの枢軸を推進しているのであろうか。

11月20日、男声合奏団・東京リーダーターフェルとジルヴァーナーが合同で、私が1963年に太平洋戦争での犠牲者に捧げる鎮魂歌として書いた最初の《レクイエム》をトリフォニー大ホールで演奏する。今年追加したソプラノソロが入る《花の歌》いう一章は、図らずもインド洋の地震と津波の犠牲者の冥福を祈りながらの作業となった。連合艦隊司令長官を夢見て海軍兵学校予科在学中に終戦を迎え、全ての価値観の逆転を知った世代として、生涯を反戦やアジアとの共生・共楽に捧げると誓った私に、更なるレクイエム作曲を強いるおつもりですか、政治家の皆さん。

三木 稔