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2002.7
02年 結アンサンブル香港・バリ島公演
 6月末から7月上旬にかけて、私の作品演奏のため、琵琶:シズカ楊静、尺八:坂田誠山、筝:木村玲子のトリオによる「結アンサンブル」で香港・バリ島公演を行いました。4月東京津田ホール、5月大阪國際室内楽フェスタ(「フォルクロア特別賞」受賞)は楊静と洋楽トリオによる「結アンサンブル」でしたが、今回はアジア民族楽器の代表的ソリストたちのチームで、10月4日に岡崎コロネットでスタートする「アジア アンサンブル」の中心メンバーです。

 香港は、昨年北京のコンクールの審査に行ったとき、そのスポンサーだった龍音公司の招待によるプロデュース公演で、7月2日シティホール(470席)で行われました。当日は香港が中国に復帰して5周年を祝って、近くのコンヴェンションホールで同時刻に1万人が出演する大コンサートが行われたというのに、沢山の作曲家や演奏家が駆けつけて息詰まる雰囲気でのシリアスなコンサートになりました。《平安音楽絵巻》はこのトリオのためのヴァージョンを作ってトリの曲にしました。

 一方、バリ島はこの時期毎年1ヶ月近く行われている、バリ島芸能の粋を集めた「バリ・アートフェスティバル」からの招待で、7月6日20:00から行われた「結アンサンブル」のコンサートは、アートセンターで同時刻に行われる5つのイヴェントを人々が行き来する、リラックスしたパフォーマンスでした。私たちはアートセンターの最良の屋内ホールで、900席ある豪華な客席を持ったクシラルナワ劇場を与えられるましたが、冷房はなく、天井や窓が開いているので周辺のパフォーマンスや夜店の賑わいが遠慮なく入ってきます。仕方なくマイクで相当な音量のPAをせねばなりませんでした。筝の立筝台が香港から到着せず、30年前から日本音楽集団海外公演を重ねて危機管理に慣れた私は、写真のように背景に合わせて籐の椅子で台を作り、王宮での演奏のような雰囲気を作り出すハプニングもありました。

 コンサートの最後に、舞台で竹の楽団ジェゴグと即興で共演しました。2000年11月、クルト・マズア指揮の読売日本交響楽団の委嘱で書いた《大地の記憶》に楊静・木村・坂田たちと「アジアのソリストたち」の一人としてガムラン楽器で出演してくれたスウェントラさんのお父さんが創設した「スアールアグン」と一緒に即興演奏しようと約束していたのです。その巨大な竹の大合奏を聞くため、2日前に、バスで棚田と椰子とインド洋からの大波の押し寄せる海岸を縫って、バリ島西部の、観光客もめったに行かないジェゴグの本拠ヌガラ村に1日がかりで行きました。アドリブで琵琶と尺八が加わってリズミックなセッションが展開するうち、即興の段取りを身振りで指示していた私は、これは阿波踊りが乗せられると思いたち、つい踊りだしてしまいました。ツアーを組んでバリ島に乗り込んできていた15年来の私の後援会「結の会」の30人もの方々が喜んで加わり、ジェゴグを演奏する農民の若者や踊りの娘さんたちまで、そうこうするうちアワバリ・ダンスに溶け込んでしまいました。名誉のため言っておきますが、写真の私の振りは、何かを指示している瞬間であって、いつもは正統阿波踊りを踊っていますので誤解なきよう!

 28年前、日本音楽集団を連れて外国楽団初となったバリ島公演をした時には、ホールの周りの虫たちと共演した素朴な思い出があります。私にとっては4回目の訪問となる今回も、この最後の楽園は、見聞きする場所を選べば、今も尚激しく創造意欲をそそられる聖地だとの思いを新たにしました。雨中、3百年生きるガジュマルの大木の前で見た真迫のケチャや、本当のトランス状態が延々と繰り広げられたレゴン・クラトンなどにも出会いました。この最良の季節に、海辺の豪華な観光ホテル群に滞在して憩うだけでも癒し効果は満点です。他方、エリート農民の余暇とヒンズー教が合体した芸能の真骨頂に、これからも何度も何度も触れていたい欲求を止められそうにありませんでした。
 次回は是非皆さんも私たちと一緒に行きませんか?

2002年7月17日
三木 稔


三木 稔