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2002.6
楊静&結アンサンブル、
大阪國際フェスタで「フォークロア特別賞」受賞
《東の弧》初演と再演 三木 稔
 日本室内楽振興財団が主催して3年毎に行われる大阪國際室内楽コンクール&フェスタの第4回目が2002年5月大阪いずみホールで開催されました。コンクール部門は「弦楽四重奏」「ピアノ三重奏」の2部門あり、厳格な課題曲、世界の著名審査員によるオーソドックスな審査に世界から54団体が参加しました。一方、2人から9人まで、クラシックから民族音楽まで、年齢国籍を問わないフェスタ部門は世界34か国から126団体が応募し、テープ審査で23団体が選ばれて、公募の多数のアマチュア審査員により、2日間の生の予選、3日置いて本選が行われました。
 3年前、楊静の大阪リサイタルを聞いたフェスタ推進者から、彼女を中心にしたアンサンブルで是非フェスタ部門に参加して欲しいと懇望された私は、前回入賞者のCDなどを聞いた印象や、100人を超えるアマチュアの審査員、大阪という場所柄から、これは視覚的な要素が重要な芸能ないしショウと考えて参加しなければ成功しないと直感しました。でも私たちのように、伝統的な世界組織をもたない新しい仕事をしている分野には、オーソライズされて賞金も多いコンクールなどありません。長年、国際的で民族の香りを持った新しい芸術分野のコンクールや、高いレヴェルのフェスティヴァルの開催を周囲に呼びかけて来ましたが反応がなく、残念に思っていました。このフェスタの存在を知って、ユニークなお祭り、もしくはフェスティバルへの参加と割り切り、新しい組み合わせのレパートリーを真剣に作るだけでも意義があると考えました。
 そして、以前からの構想に従って、中国琵琶の楊静に私の主宰する結アンサンブル(HPの別項目参照。今回は、ヴァイオリン:三木希生子、チェロ:橋本しのぶ、マリンバ兼打楽器:臼杵美智代)の編成を決め、演奏者の了承を得て、昨年、新しく《東の弧》という30分の大曲を書きました。最初の録音審査に間に合わせた自主録音をするには、作曲時間が限られて自作の既成のエレメントを効果的に使う必要がありましたが何とか間に合い、昨夏楊静の滞在中に山梨県韮崎市文化ホールのご好意で練習や仮録音が出来、提出したテープは無事審査を通過しました。ここを通過すると世界各地からの旅費と大阪での滞在費は支給されます。
 今年4月20日には、その曲の初演を兼ねて津田ホールで「楊静&結アンサンブル」による『三木稔作品特別演奏会』を自分のリサイタルのつもりで開催し、満員のお客様方に随分喜んでいただきました。特に《水田幻想》《琵琶夜曲》《渚の踊り》《艶歌》《古の戦い》の5章からなる《東の弧East Arc》は、活気に満ち、誰にも楽しめる室内楽曲として受け入れられ、4人の奏者たちは溌剌と初演を果たしました。
 しかし、なにしろ多数のアマチュアが審査する5月のフェスタでの演奏効果を上げるため、アンサンブル優先か、暗譜を含め、よりスケールの大きい表現の獲得のほうが必要かなど、私を含めて激しい論争に傷つく者が出るほど、久しぶりに緊張した日々が続きました。
 5月に再来日した楊静を先ず東京に迎えて、より細緻なリハーサルセッションの後、大阪に乗り込みました。フェスタの予選は18日のA組12団体の9番目でした。クラシックの高度なアンサンブルが多かったこの組から3組が本選に選ばれましたが、「楊静&結アンサンブル」の演奏直後にはブラボーの声が3、4人飛び、直後に顔を合わせた関西の高名な評論家K氏は大変喜こび、高い評価をしてくれました。また、毎回この審査を経験しているという、初めてお会いした紳士が、発表前のロビーで自分独特の詳しい採点表を見せて、われわれが最高点であることを示してくれました。それは一例ですが、余裕を持って決勝進出をしたことは確かなように思います。民族音楽というよりエンターテインメントの要素の強いアンサンブルが多かった19日のB組は10組から5組が選ばれました。この時点で、両日にまたがって優秀なクラシック系のアンサンブルが数多く姿を消して、アマチュア120人の審査員による本選審査に不安を感じ始めました。当初に私が直感したとおりの危惧が現実化してきたわけです。
 私としては《東の弧》には民族のアイデンティティを根に持った美しいメロディーを書き綴り、変化や諧謔性にも配慮し、視覚的効果も充分考慮してあるダイナミックな作品創りを完璧に果たしたつもりでしたが、多数のアマチュア審査員の審美眼や好み、特に大阪という土地柄から言って、より直接的な大衆向きの演奏に得点が流れているのではないかと疑いを感じ始めたわけです。
 本選前の2回の練習は、事務局手配の練習場にはマリンバがなく、東京から折角運んできた臼杵さんの5オクターヴのマリンバや珍しいサヌカイトが持ち込めず、関西のマリンバ関係者の個人のお宅のご好意にすがって、芦屋や西大寺に出向きました。その間、フェスタに対応する演奏のあり方で、私がまたまた少々強烈な指示をしすぎて、再び演奏者を戸惑わせる愚も冒しました。未だに青臭い自分を恥じています。
 しかし私が信じ、選りすぐった4人はさすがでした。本選の演奏で、彼らは自分たちの力を出し切り、最善の演奏をした満足から、終わって戻った楽屋で泣きだした者もいたくらいで、私は痛く感動し、彼らに是非とも金賞を取らせてやりたいと心中で祈る思いでした。予選の後で会った件の紳士は本選も審査をしていて、「完璧でしたね。予選より更によくなった。みんなきっと一番いい点をつけますよ」とおおらかにおっしゃいました。自分で買って出て本選の審査をしていた高校時代の友人、クラシック通としてはおそらく関西有数のM氏は「楊静&結アンサンブル」と、ショスタコヴィッチを弾いたベルギーのカルテットにダントツの1位を入れたそうです。一方、審査結果発表前、東京からこられた日本室内楽協会の関係者の一人にロビーで会いましたが、旧知の方で、審査には毎回関係しないそのK氏が、「カルテットやトリオのコンクール部門は大阪の土地柄か盛り上がらない」「毎度フェスタでは自分がいいと思った団体は賞を取れない」とおっしゃった言葉はなにか暗示的でした。
 昨年だけで、海外も含め五つのコンクールの審査をした私にとって、立場が逆転した今回、客席で聞いて随分いい勉強をさせてもらいました。コンクール部門は日本人全滅だし、フェスタでも大変いいレベルだったと感心していた日本人チームが、わがチーム以外見事に落とされた予選結果をとても不思議に思いました。スポーツにおける日本応援精神は、芸術芸能では働かないのか? 大阪だけの現象なのだろうか? 
 本選の他国の参加者の演奏で、予選の折、ショウとしてアマチュア惹きつけそうだった3つのチームを特に注意して見聞きしました。
 イギリスのピアノデュオは黒人男性と赤いドレスの素敵な女性が、有名曲のアレンジを交え、器用でダイナミックなエンターテインメント繰り広げました。一曲ごとに拍手に先立って二人で立ち、片手を真横にピアノに伸ばして深々と90度お辞儀します。客席をじっと見て拍手が止まりそうになったら間髪をいれずもう一度深々とボウ・アゲインです。演奏の傾向もあわせ美しいショウでした。
 ロシアの「クラシック・ドムラ」という8人は、プログラムにある自己紹介文で先ずほろっとさせられました。子供たちが半分の4人を占め、どうも彼らが孤児であるような紹介文でした。ほどほどの力量を持った彼らのロシア民謡は泣かせます。母親か先生に当たる女性が、子供の一人の持つマンドリンんに似たドムラという楽器を引き取って調弦してやったりします。ロシアの民族楽器が珍しく、好ましいチームでした。
 だが、予選で強い印象を残したこの2チームですが、本選では予選よりインパクトが落ちました。選曲にも難がありました。私には作戦失敗のように思えました。
 しかし、本選で「楊静&結アンサンブル」の直前に演奏したロシアの「デュオ・ロマノフ・クガエフスキー」は予選の印象とがらっと変えてきました。それは見事なまでのプロフェッショナル、徹底したエンターテイナー振りでした。二人のデュオは1年前の結成のようですが、ロシア国内で精力的に演奏活動をしたとあり、國際グランプリコンクールで“ゴールド・アコーディオン賞”を5ヶ月前に受賞しているのも当然と思いました。白髪で短躯のロマノフが大きなボタンアコーディオンを体の前一杯に抱え、長身で若いクガエフスキーが小さいドムラをおもちゃのように弄んで、まるで上等の吉本の掛け合い漫才です。ヴィヴァルディ、スカルラッティ、サラサーテ、に加えてロシア曲は、耳だけで聞いたら特に感動的とは思わなかったかも知れませんが、一方が突っかけて、他方が時にまともに反応、時にユーモラスにそらせたり、視覚込みのこの訴えは、コンクールとフェスタを通して最も鮮烈なパフォーマンスでした。これは金賞は決まりだな、と内心思いました。毎日のように舞台で客に接していないでは達し得ない芸としか言いようがありません。10回にも達しない練習チャンスしかなかった、日中共演のわがチームには望むべくもないシチュエイションです。
 しかし「楊静&結アンサンブル」は見事なまでに演奏しました。聞いたこともないタイプの音楽をエンジョイできる聴衆には強烈な印象を残したはずです。でも上記3チームのように、暗譜で、相互に自在に掛け合い、客馴れしたパフォーマンスが出来たとは思いません。シリアスな音楽世界での天才ぶりのみならず、中国の文化大革命後期、8歳くらいから大衆へのサービスを国家に強要されて無数の舞台を踏み、子供ながらにスターであった楊静を除いた日本の三人は、桐朋や芸大が代表する日本の戦後のクラシック音楽教育の申し子で、私など足元にも及ばない高度な音楽技術を身につけていますが、聴衆と対面して魂を引き抜いてやろうと言うような芸人根性とは縁遠い生真面目な演奏家たちです。日常活動での暗譜には慣れていません。はったりなどとんでもありません。今回急に態度変更など無理な話で、自分たちに忠実に真摯にやろうと言うことになって、そのとおりの演奏に徹しました。東アジアの水田のアトモスフェアから始まって諧謔、そして情感を取り混ぜた大きなスケールを見せつつ、最後の中国琵琶古曲《十面埋伏》を取り込んだ「古の戦い」などは、4人が猛烈なダイナミズムを展開しました。私も作曲者としておおいに満足しました。
 結果は上記3つのエンターテインメント派が後から順に金・銀・銅賞を獲得しました。「楊静&結アンサンブル」は残る一つの『フォークロア特別賞』を受けました。むしろロシアの2チームがこの名に相応しく、私たちはどちらかと言うとアーティスティックな名のほうが似合っていると思いますが、世界中から126団体参加のなかで唯一の國際共同アンサンブルの困難を克服しての参加であり、おそらくこのための新作で通したチームは「楊静&結アンサンブル」だけでしょう。コンクールとフェスタを通じて、日本や近隣国から唯一の受賞団体として大変光栄に思っています。
 もしかしてフェスタが少数の専門音楽家の審査するシリアスな部門と、今回のような多数のアマチュアが投票する人気投票的なエンターテインメント部門に分かれていたら別の結果になったと想像します。参加したものの発言特権として言うならば、大阪人の感覚、土地の伝統から考えて、欧米にたくさんあるカルテットやトリオのコンクール部門は廃止し、フェスタ両部門に整理したら、きっと国際的に評判を取るイヴェントになり、日本室内楽協会は有名になると確信できます。
 私たちは、他に適当なコンペティッションがないために、やや的外れな競い合いに間違って参加してしまったのかも知れません。シアターピース的な現代音楽があってもよかったし、邦楽の人たちの参加が全くなかったのはいぶかしいことでした。点をもらえないと初めから読んでいたのでしょうか。でも正々堂々とコンペに参加するのは成長のため必須のことです。「楊静&結アンサンブル」の演奏者たちは、それぞれにとてもいい経験をしたはずです。芸術監督としてプロデューサーとして私は結構な出費をしましたが、自主的に《東の弧》という、多くの聴衆を感動させ、楽しませられる作品を創造できて満足です。お世話になった方々、応援してくださった関西の友人たち、ありがとうございました。心からお礼を申し上げます。
 今後も、この素晴らしい演奏者たちと、より高度で楽しいコンサートを模索し、方々で《東の弧》を中心にした曲目で演奏チャンスを持ちたいと思っています。皆さん、期待して企画してください。

(2002年6月、三木 稔)


三木 稔