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2000.7
千年の宴の後
三木 稔
 
 私が源氏物語を実際に構想し始めた7年前、世間はまだ源氏がブームになるとは予測していなかった。現在の現象はまさに瀬戸内新訳効果であろう。でも日本史に沿ってオペラを書き進めている作曲家にとって、紀元2,000年頃に特別な年を迎える源氏物語に照準を当てるのは当然のことで、課題はそのオペラの規模・完成度と国際性であった。
 世界に知られた華やかな題材、日本人が外国の劇場からの委嘱で書くフルサイズのオペラとして、恐らく今後超えることはないと思われる3作目という記念の作品は、世界の大オペラハウスで将来上演可能なグランドオペラとして作曲する以外考えなかった。
 だがすぐ難点に突き当たった。初演するセントルイスの劇場が、客席、ステージとオーケストラ・ピットなど全ての点で中規模であり、委嘱側としてはその条件に合った作品が欲しいと言うこと。台本を書くグレアムも「1対1の描写が殆どの舞台となりかねないこの物語はグランドオペラにならない」と頑強に言う。また、こういった長編小説がオペラに最も不向きなことは先刻承知である。ましてや資金はこの7年間を通して大問題であり続けた。よくも初心を通したものだと、今でこそ振りかえることができる。
 グレアムは私の言い分を理解し、源氏の生涯の栄光と挫折というプロットで劇性を最高度に維持した台本を書いてくれた。そして私は初心どうり、この物語から発想し得る極限まで、人間の心情の起伏や深浅を音楽に託し得た。それぞれ英語版と日本語版、スタンダード版とグランドオペラ版に対応し、これまで培ってきた秘術を尽くしてスコアを完成させた満足感がある。
 時差10時間の彼方で、およそ原作とかけ離れた言語を駆使した千年の宴は終わった。いくら世界的に有名といっても、源氏物語を全く知らない外国人も多い。こんなドンファンの話をアメリカでなぜ、と反感を持って書いたとしか思えない地方紙もあった。しかしさすが文化面に重きを置く全米紙には、リーズナブルな視点が感じられた。
 例えば、日本の日経新聞にあたるウオールストリート・ジャーナルは「セントルイス・オペラ劇場25周年記念の催しは、舞台にしろ音楽にしろ非常に高いレベルで、心底楽しむことができた。とりわけ、中心的演し物であった三木稔作曲《源氏物語》の世界初演は稀にみる成功であった。」と書き出し、音楽については「三木の音楽は雰囲気に満ちた傑作である。西洋音楽の様式であっても、ドビッシーやブリテンがそうであったように、移ろい易いたおやかさが全体に溢れ、古代の詩情ある原典にまことに忠実に添いながら現代作品として完成させている。日本特有の仕草も、彷徨うフルートの曲調の如く、音楽という織物の中に縫い目も見せずに織り込まれ、目障りな色合いを微塵も感じさせない。木村玲子の筝と、楊静の琵琶、といった伝統楽器を使った音楽も絶妙で、特殊な役割を確実に果たしていた。自ずと話の筋が分かるコリン・グレアムの職人業ともいうべき台本の言葉は、明瞭にドラマティックに旋律化されている。六条の激しい怒りは、まことヴィルチュオーゾとして処理され、少人数のシーンはあくまで繊細に、合唱を伴う大きシーンは、くっきりと際立つ。」(ヘルディ・ウオールソン、常俊明子・訳)といった風に、本来文章で表現しにくい音楽内容を的確に示している。より書きやすいヴィジュアルなもの、舞台や演技の紹介には勿論一点の狂いもない。

 来年9月、日生劇場はセントルイス・オペラ劇場を招待して、オペラ《源氏物語》の英語版日本初演を行うことを決めた。日本語字幕付きだから内容は誰にもよくわかる。劇場規模も一回り大きくなり、時間の制約ながら二幕仕立てだったため、一部の聴衆や批評で休憩がもっと欲しいと苦情が出た問題は、私の意図どうり三幕仕立てに変えて、ゆったりとさせる予定だ。演出も日本人により理解しやすいよう細部を練り直す。3回の公演ではチケットの確保が難しかろうと、嬉しい心配が始まった。

(徳島新聞ではウオール・ストリート・ジャーナルの全文を載せるため、七月の私の文章はこれと違った。)

徳島新聞「音楽随想」原稿より

この随想は著書『オペラ《源氏物語》ができるまで』に収録されています


三木 稔